「いくらアンチなことを言われようと、それを貫き続けると王道になって、みんなそれを認めるんですよ」。KENZI、還暦を前に思いを語る!

貫いた信念が、その人の生きざまとなり、揺るがない生き方が、その人にとっての正義になり、周りもそれを認めてゆく。KENZIとは、まさにそんな人だ。
KENZIの名前が、最初に世の中へ轟いたのは、CRAZY DANGER NANCY KENchanと名乗り、「はちゃめちゃ狂」の名の下、かまいたちのドラマー&リーダーとして活動していた頃だった。Free-Will Recordsよりリリースしたアルバム『いたちごっこ』が評判を集め、瞬く間にメジャーへ進出。当時の音楽シーンを掻き回す勢いで活動をしていたが、デビューから2年を待たずにバンドは解散。その後、KENZIは、THE DEAD P☆P STARSを結成し、復活。∀NTI FEMINISMも並行して走らせた。20歳のときから音楽活動を始めて以降、今もKENZIは一切音楽活動を止めることなく走り続けている。その間にも、いろんなことがあった。アナーキスト・レコードの設立。自身の遊び場STAR★CAFEの経営。COLORのDYNAMITE TOMMYとともにユニットSISTER’S NO FUTUREとして世間を騒がせれば、殺害塩化ビニールの社長クレイジーSKBとも怪奇!!動物アジテーターを結成、常識を逸脱したライブを繰り広げてきた。最近では、放火魔という言葉を世間から浴びせられれば、その言葉さえもみずからの新たな勲章として、自身の力に変えている。まさに破天荒な生き方を貫いてきたKENZIも、今年の7月3日で還暦、つまり60歳を迎える。KENZIは語っていた、「60歳からがスタートだ」と。その生きざまを、大切な仲間たちと示す場になるのが、7月3日(木)にZepp Shinjukuで行う「続・元祖ビジュアル系かまいたちKENZI伝説還暦生誕祭~けんちゃん!お前って奴は。。~」になる。出演者は以下の通り。

出演:THE DEAD P☆P STARS/アンチフェミニズム&HIZAKI(Versailles)/死んだパンダ噛んだズ/April in 85/AURA/ガチンコバンドクラブ/新宿心音会板谷祐/覇叉羅/メリー/BALZAC/SEXX George/MOGWAI/SHINTANI/DEN/ C’Z(ちぃたん☆&いっちゃん)/ぴぱんくぅ/猫ひろし/斉藤勝宣(TRACY/ONE NIGHT STAND)/橘高文彦(筋肉少女帯/X.Y.Z.→A)/森重樹一(ZIGGY)/&more!!

この日のライブに向けての思い。KENZIらしい、はめちゃめちゃなように見えて芯を貫いた生きざまを、彼の言葉を通して伝えたい。

──けんchanも、還暦を迎える歳になったんですね。

KENZI そうなんです!20歳でかまいたちを作って、23歳でメジャーデビュー。まぁ、デビューから2年契約ぶっちして!解散したんですけどね。そのとき、「1年後に帰って来る」言うて、92年9月6日にTHE DEAD P☆P STARS(以下、DPS)として復活。その間にも、∀NTI FEMINISMと、TOMMYちゃん(COLORのDYNAMITE TOMMY)とSISTER’S NO FUTUREをやって。

──∀NTI FEMINISMのほうが、DPSよりも先だったんだ。

KENZI そう、DPSとして動きだした1年前から始めてる。あの頃(∀NTI FEMINISM/SISTER’S NO FUTURE)から今(∀NTI FEMINISM/DPS)も、ずっと二刀流。今では当たり前にみんな色々やってるけど。二刀流は、僕が一番最初やった。あの頃って、「バンドマンが、なんで2つバンドやんねん。やるなら、1つのバンドに力入れんねん!!」と言われた時代。でも僕は、あんときからずーっと、ヴォーカルのバンドとドラムを叩くバンドの二刀流を貫いてきた。その姿勢は今も変わらへんし、ずーっとやっていることやから。

──蛍光灯の上にダイブしたり、火を使ったりという∀NTI FEMINISMのパフォーマンスも、あの頃からズーッと変わらずに続けていることだ。

KENZI まぁ、”放火魔”(笑)言われるようになってからは、お陰様でマークされまして、今は火ぃは使ってへんけど。この間も∀NTI FEMINISMのライブで久しぶりに顔面から血ぃ流して。
僕、小学校の卒業アルバムに「アブドーラ・ザ・ブッチャーの弟子になりたい」と書いてたくらい。だから、ライブで血ぃ流すんは、ぜんぜん嬉しいですよ。周りの人らは、「危ないなぁ」「なんでそんなことするの?」と言うけど、それは当たり前の生きざま。あの頃の僕は、プロレスラーか芸人さんになりたかったんで。

──音楽活動は、いつ頃から?

KENZI 20歳のとき。正確に言うと20歳前やったけど、かまいたちを作ってから。ただ、その前に、よくある学校の文化祭で、みんなで絵を描いたり、仲間とバンドを組んで楽しいことをするのが好きでドラムはやってんけど。ただ、ドラムや歌が好きでやるいうよりは、仲間と一緒に何かをやるのが楽しかった。それがバンドやったんやろうね。前にも、DPSのAKIに「けんchanくらいやで、音楽雑誌のインタビューで「ドラム嫌いや」とか言うてんのは。普通、怒られんで」と言われてたくらいやったから(笑)。

──今でもそうだけど、けんchanは仲間と一緒に何かをやるのが好きな人でしょ。

KENZI そう!!ここ(取材した場所でもある、KENZIが経営しているSTAR★CAFE)も、仲間が集まる場所が欲しいからと作ったお店。STAR★CAFEも、7月3日で20周年を迎えるんですよ。今でも覚えてるけど、僕、煙草は吸わないから、灰皿を用意していなかったんですね。プレ・オープンの日に仲間たちが集まったとき、「けんchan、灰皿は?」と聞かれ、「ない」言うたら、「この店、灰皿もないんか」と言われ、急いで近所まで買いに行って。あんときは、みんなに「駄目だこりゃ」と、ほんまにお店続くんかと心配もされたけど。でも、20年経ちますからね。これも、ずっと仲間たちがこのお店も支えてくれたから。ほんま、ありがたいですよね。

──DPSも、∀NTI FEMINISMも、STAR★CAFEも、そう。一度始めたことはずっと継続しているところからも、けんchanらしい生き方が見えてきます。

KENZI 僕、人のことを楽しくボロクソ言うんですけど。何があっても、どんなことになろうとも、一つのことをやり続ける、そのプライドがあるからこそ言えるんですよ。ただし、バンドっていうのは一人では出来ないこと。メンバーがいなかったら、やりたくても活動できないじゃないですか。アナーキスト・レコードへ所属していた仲間たちを含め、僕は、メンバーが見つからなくてフェードアウトしていった仲間をいっぱい見て来ているんで、そこはホンマにありがたいなと思ってる。DPSも∀NTI FEMINISMも、ズーッとメンバーがおる。そんな幸せなことはないですから。

──アナーキスト・レコードも、仲間たちの絆がとても強いレーベルですよね。

KENZI そうですね。今回の還暦ライブに出てくれる死んだパンダ噛んだズのメンバーは、僕のローディーをやってたyasがリーダーをやっているバンド。今プロデュースしているApril in 85も、そう。今回のライブではC’Z(ちぃたん☆&いっちゃん)と僕が変身している”ぴぱんくぅ”が出ます。普通、着ぐるみの場合、誰が入ってる言うのはご法度やないですか。僕は昔から変身願望があったんで、2年前にその夢を実現。僕の場合、「KENZIがぴぱんくぅに変身」と、みんな話題に取り上げてくれるんで、逆に言うてます(笑)。

──ぴぱんくぅは、変身願望から生まれたキャラクターなんだ。

KENZI それもあるけど。STAR★CAFEもある2年前の歌舞伎町と言えば、トー横辺りが大変な時期で、若い子が「かかってこい!」とかいきっているような状態やし、街も汚れまくってたんですよ。それをなんとかしたくて。それで、ぴぱんくぅになってトングを持って街を清掃し始めたら、みんな温かい目で見てくれるし、掃除だって手伝ってくれる。一度、たちんぼしている女の子たちの少しでも癒しになったらと思って、大久保公園辺りをパトロールで行ったら、みんな逃げだすんですよ。「えっ?」と思ったら、後ろからパトカーが走ってきたという(笑)。しかも警官の人が、こっちを見て礼をしてるんですよ。いっつも僕のことを不審者扱いで職質してくるくせにな(笑)。

──今回の還暦ライブには、「着ぐるみ枠」があるんですね。

KENZI 正確に言うと、「動物枠」。そこでは、ちぃたん☆・いっちゃん・ぴぱんくぅでセッションもしようと思って。しかもそのステージには、同じ動物枠で猫ひろしさんも出て、僕らが踊っているときにステージ中をずっとマラソンしてくれます(笑)。夢のコラボ、ドリームコーナーです!

──共演者は、けんchanと縁の深い仲間ばかりですよね。

KENZI そう。新宿心音会板谷祐のTUSKとか。僕はZI:KILLの『少年の詩』が大好きで、この曲には何回も助けてもらった。そのTUSKにも出てもらえれば、90年代、DPSと一緒にツアーをまわっていた覇叉羅も出てくれる。覇叉羅のドラムのK助とは今も親友やし、ベースのleayaは、∀NTI FEMINISMでも弾いてくれた。しかも硬派なバンドやから、どーしても出てほしかった。メリーとBALZACはずっと大好きなバンド。出演者全部言い出すと終わらないんで、ここまでにしとくけど。出演してくれる全員、いろんな想い出も、思い入れもある仲間たち。しかも今回、奇跡が起きました。ZIGGYの森重(樹一)さんも出てくれることになって。ZIGGYみたいなバンドにしたいとMOGWAIと、かまいたちがまだ京都で活動していた時期に言ってて。僕の今の思いをいろいろ語ったうえで、「一緒にやりたいです」と言うたら、「いいよ」と言ってくれて、感無量。ずっとやってきてよかったって思いました。実はメジャーデビューアルバム「はちゃめちゃ狂」でもコーラスしてもらってます。そのCDを出していただいた同じレコード会社だった筋肉少女隊の橘高君も出演してくれます!

──けんchanは今、「けんちゃんが街にやってくる」と題して、全国各地でトークショーをやっていますよね。

KENZI  僕の人生のモットーが「ドキドキワクワクしたい」なんで、それを今、味わっているところです。「けんちゃんが街にやってくる」は、還暦ライブのチケットを手売りで100枚売ろうと始めたこと。(取材時点では)残り3ヶ所で、今96枚売れたから、順調にいけば100枚の目標は達成できそうかなと。ほんま、ありがたいですよね。巡業の中、それこそSoleilの代表のKAIKIを筆頭に、いろんな仲間たちが遊びにきてくれて、「お祝いやから」とチケットまで買ってくれたし。北九州では、花がいっぱい届けられ、北九州の連中はホンマ熱いなと感じられて嬉しかった。北九州で言えば裏話もあって、僕が事前に「お礼参りにいくんで、よろしくな」と伝えたら、「僕ら何かやりました?」とざわつかれて。今は尼崎で「呑み処 洋海」をやってるHIROMIが、「けんchan、お礼参りいうのは、ボコりにいくことや」と言ってくれて。それで訂正したんねんけど (笑)。各地で、いろんなお世話になった人らや仲間に会うことが出来て、ほんまにやって良かったなと思ってる。かまいたち解散した時も北は札幌から南は博多まで、トークショーやってるんだよ。

──ぴぱんくぅ号に乗っての一人旅だったんでしょ。

KENZI そう。電車に揺られながら行くこともあります。これも余談やけど。前橋のトークイベントへ向かう道中、お腹空いたんで、途中に車止めてうどん食うてたら、地元の子が「けんさんですよね、ぴぱんくぅ号見つけたんで、探しました。握手してください」と来て、「ところで、ここで何してるんですか?」と聞かれたから、「うどん食うてんねん」と答えたなんてことも、今、思い出したわ(笑)。
この間も、新潟で久しぶりに新潟JUNK BOXでやってくれたGENさんと会って。GENさんは、SISTER’S NO FUTUREが「ゲテモノグロテスクGIG」という、豚の頭や豆腐などゲテモノを投げ合うGIGをやる会場を探してるとき、何処の会場にも断られた中、「やってよ」って言ってくれた人。そんな懐かしい話がでけたのも、「けんちゃんが街にやってくる」をやったおかげやなと思います。

──いろんな常識を壊しながら進んできたのが、けんchanですからね。

KENZI 「ロック界の異端児」言われることが嬉しかった。SISTER’S NO FUTUREで「ゲテモノグロテスクGIG」をやったのもそうやし、今でも、閉館したアルタ前を通るたびに思い出すんが、SISTER’S NO FUTUREでやった「爆薬轟音中空GIG」。僕の大好きなプロレスラーのミスターデンジャー松永さんが6mバルコニーダイブをやって「いいなぁ」と思ってたんで、ホンマにアルタのバルコニーから飛び下りようと思ってた。僕自身は、たとえ骨が折れようと、それがニュースになるんやったらええなと思ってたけど、レコード会社の人に「それはやめよう」と止められて。でも、今振り返ったら、あの厚底で飛び下りたら骨折どころじゃなかったかも (笑)。
クレイジーSKBとやってた怪奇!!動物アジテーターでも、「ビリッ!!電気ウナギ666匹&白い恋人デスマッチGIG」のときは、羽毛まくらを切ってばら蒔くと綺麗な雪みたいで、それで”白い恋人”と言うてたんですけど。そんときは羽毛まみれになった666匹のうなぎの中へ飛び込んだり、「パニック!!ミミズ400,000匹デスマッチGIG」のときには、大量のミミズの中へ飛び込んだり、無料配布でミミズ三匹ずつあげたり。∀NTI FEMINISMのライブも、そう。僕が放火魔呼ばわりされた三軒茶屋のヘブンスドアでずっと血と汗を流してやってきてたんです! 20歳の時、かまいたちでシンバル燃やしていた。40年間放火魔なんです。今更「放火魔」言われてもな…。

──今の時代の中、その表現が今の常識に当てはまるのかなどいろいろあるから、SNS上で叩かれてしまうのもわかるんですけどね。

KENZI ただ、あのときのことによって、改めて人の本性が見えてきたなと思ったけどね。それまで仲間って思っていた奴が、「放火魔、早く捕まれ」とSNS に書いてたり。掌を返すように攻撃してくる人もおれば、それでも信頼して応援し続けてくれる人もおるなど、その人の本質がいろいろ見えてきた良い経験になったなとも思ったね。

──けんchan自身のスピリットは、何十年経とうと何も変わってないですよね。

KENZI そこなんですよ。みんな言いますね、「けんchanだけは何も変わってない」って。TOMMYちゃんは、「貫き通してね」と言ってくれたし。ホンマなら、SISTER’S NO FUTUREも還暦ライブでやりたかったけど。もし日本に戻ってて、遊びに来てSISTER’S NO FUTUREができたらね。僕、死んじゃうかもしれないな(笑)。MOGWAIも一緒にセッションやります。僕がはじめてドラム叩いた曲を。それで∀NTI FEMINISMをトップバッターにして、最後にDPSでシメて、最後の最後にセッションをやろうと思ってる。

──「還暦ライブ」を企画したことで、いろんなことが見えてきたんじゃないですか?

KENZI ですね。仲間たちが「お祝いやからと率先してチケットを買ってくれる」と思えば、久しぶりに連絡が来て「還暦ライブやるんやー、パス出してな」とか言うてくる奴もおるし。放火魔呼ばわりする奴や、少し弱ってた気持ちを支えてくれる仲間もおったり。そもそも俺の場合、ロック=はちゃめちゃやし、お前ら、今まで俺の何処見て来たんねんと言いたいわ(笑)
それと、僕は今回の「還暦ライブ」が終わりやなくて、「ここからがスタートや」と思ってやるんで。ようやくこの歳になって、やれるようになってきたこともあれば、まだまだやりたいことはいっぱいあるんで、ほんま、この日からが僕のスタートです。

──60歳を迎える頃ってみんな次の人生を考え始める中、「ここからがスタート」と言えるところが、ほんと強いなと思う。

KENZI 僕、昔からクローン病という難病を抱えてて。その治療もずっと続けてるんですけど。前に三分がゆしか食べたらあかん時期に北海道遠征をしたとき、遠征最終日の室蘭公演を終えたあと、仲間たちとジンギスカンを食べたんですね。普通やったら腸がびっくりして腸閉塞になるんやけど。その症状がまったく出えへんどころか、帰って診てもらったら、逆に治ってた。普通なら、あり得んこと。そんときに主治医の方から「石井さんにとって一番の薬はバンド活動だから、ずっと続けてください。それが最大の治療です」と言われて。好きなことをやるって、そういうことなんやなと改めて思いましたからね。

──好きを貫くのも大変なこと。それをけんchanちゃんは、いつも楽しんでやっていますよね。

KENZI そこは、なるようにしかなれへん。僕はお金持ちでもなければ名誉もないけど。自分で名誉と思える仲間はいっぱいおる。そういう仲間らと一緒に支えあいながら生活できてるなら、それでええなと思ってる。

──ほんと、けんchanのスピリットは何も変わってない。そこにみんな惚れて、集まってくるんだろうからね。

KENZI もちろん、アンチもいっぱいいますよ。でもね、いくらアンチなことを言われようと、それを貫き続けると王道になって、みんなそれを認めるんですよ。僕の尊敬するプロレスラーの大仁田厚さんも、そう。電流爆破や有刺鉄線マッチを始めたときは、(正統派プロレス好きやレスラーたちから)「あんなものは邪道だ」「プロレスじゃない」と言われてはったのに、それを貫いたら、みんなが認めたんですよ。DPSやSTAR★CAFEを始めたときも、そう。どっちも「1年持たない」と言われたけど、DPSは今年の9月6日で33周年を迎えれば、STAR★CAFEだって7月3日で20周年を迎える。もちろん、∀NTI FEMINISMも含めて、全部やってますから。 僕も還暦を迎えるけど、かまいたちから始まって、ずーっとDPSと∀NTI FEMINISMをやり続けてきて、放火魔にもなって。ぴぱんくぅとしても、ホンマ歌舞伎町を掃除もしてるし、STAR★CAFEも20年目を迎える。それらも全部、仲間たちの支えがあるから続けられてきたことやけど。こうやってずっとやり続ければ、それが全部王道になっていくんですよ。

──その生きざま、ぜひ「還暦ライブ」の場を通して見せてください。

KENZI 20歳からバンド活動を始めて、ずっとバンドを40年間やり続けてきて良かったなと思ってる。バンドって、ホンマにいいもの。バンド活動をずっと続けてきたから、いろんな人らと出会った。この日も、僕と同じ生きざまを持った人たちばかりが出る。逆に言うたら、そういう人しか選んでないんで。だからこそ、長丁場のライブにはなるけど、全員の生きざまを見てほしい。同時に、この日から始まる僕のスタートも見てくれたらなと思ってる。みんなの笑顔を見れるのを、楽しみにしています。

最近では、放火魔呼ばわりされるなど、昔も今も、何かと身辺騒がしいところは相変わらずだ。でも、40年間の音楽人生の中、姿勢を貫くと言えば格好いいが、良い意味で何も変わってないからこそ、その生きざまに惚れ、つねにKENZIの周りにはいろんな人たちが集まってくる。自己主張が激しく、こだわりの強い人ゆえに、アンチになる人たちも多い。妙な噂話が先行し、距離を置いていた人たちが、実際に触れたらその優しさを知り、みんなKENZIのことが好きになる。そんな、愛すべき憎まれものであるところも、KENZIなんだと思う。
インタビュー中、カットしたことだが、KENZIは「今はアイドルのほうがダイブしたりと、昔のヴィジュアル系バンドみたいなことをやってて、今のヴィジュアル系バンドのほうがお行儀正しいアイドルみたいになっている」と嘆いていた。まだヴィジュアル系という言葉もない頃から、KENZIは第一線に立って、このシーンを芽吹かせ、育ててきた。もちろん、その役割を担った人たちは他にもいる。でも、あの時代を語るうえで、KENZIが掻き回してきた功績が、今のシーンの礎の一つになっているのも事実。あえて言葉を濁さずに言うなら、清濁飲み込んでシーンを活気づけたことが、90年代から2000年代にかけてのヴィジュアルシーンの隆盛へと繋がった。KENZIの生きざまに共感と反発の両方あったことが、このシーンに刺激や気づきを与え、いろんな道筋を作りあげてきた。サウンドや歌詞は過激でも、お行儀よくなった今のヴィジュアル系バンドマンたちとは異なり、昔も今も、異端児としての自分に誇りを持ってKENZIは歩み続けている。気づいたらその生きざまが、いろんな道筋のあるヴィジュアルシーンの中の一つの王道になっていた。
昨今「ヴィジュアル系とは何かを」をSNS上で語りたがる風潮がある。そう語るのなら、まずは長く続く王道を体感し、その姿を目に焼き付けてもらいたい。そのうえで、あなたなりの持論を述べればいい。あなたが大好きなヴィジュアル系の重要な柱の一つが、今も、そこに息づいているのだから。 KENZIなりのヴィジュアル系道。その元祖となる姿を、ぜひ体感してもらいたい。

TEXT:長澤智典


7月3日(木)Zepp Shinjuku
開演:15:30~ (開場 15:00~)
出演
THE DEAD P☆P STARS/アンチフェミニズム&HIZAKI(Versailles)/死んだパンダ噛んだズ/April in 85/AURA/ガチンコバンドクラブ/新宿心音会板谷祐/覇叉羅/メリー/BALZAC/SEXX George/MOGWAI/SHINTANI/DEN/C’Z(ちぃたん☆&いっちゃん)/ぴぱんくぅ/猫ひろし/斉藤勝宣(TRACY/ONE NIGHT STAND)/橘高文彦(筋肉少女帯/X.Y.Z.→A)/森重樹一(ZIGGY)/&more!!

e+
https://eplus.jp/sf/detail/2230900002
チケットぴあ
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ローソンチケット
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SNS

KENZI
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THE DEAD P☆P STARS
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∀NTI FEMINISM
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